サッカー少年諸君に告ぐ。

紺色に沈む山嶺のようでなければならぬ。

#3 あえて欧米人と比較しよう。

 日本では度々「声を出そう」というコーチングが聞かれる。もっと話せ、もっと喋れ、等も同様だ。なぜか?

 

 日本の文化的な背景に起因していると思われることは前にも書いた通りだが、今回は、海外の子どもたちと比較しよう。海外の子どもたちをコーチングする際には、「声を出せ」というコーチングは一切聞かれない。むしろ、やりすぎを抑えるために注意していなければならない。それが強いチームだろうが、そうでなかろうが関係ない。誰でも一生懸命なのだ。(ある程度のレベル以上での話だ)コートに入って、一度ゲームが始まればそこは戦場と化す。骨と骨がぶつかり合う音、怒号、要求、罵声、様々な音や声が飛び交う。

 

 それが海外の文化だ。国境を陸地に持つ国々は今もまさに国民的な争いをしながら、隣の国を意識し、戦おうとする。戦争の歴史を背負い、今もなおぶつかり続けている。国の威信を背負うということはどういうことなのか、ということを体現している。

 その昔、朝鮮学校と試合をする時に、「日本の奴らには負けるな」「足を折るつもりで行け」というコーチングを聞いたことがある。伊藤博文を暗殺した安重根を英雄とする教育によって育てらた感情を、サッカーに乗せてくるのだ。かと言って、本当にファールばかりでくるわけではない。そういった“気持ち”で向かってくるのだ。片や、普通の試合となんら変わらず挑む日本の学生。技術の上手か下手かはあるものの、その戦いを通して、成長するのはどちらの方か。答えは目に見えている。

 熱烈な感情は、その後のモチベーションの燃料となる。強ければ強いほどだ。勝手も負けても同じである。

 

 我々日本人は、国境を陸上に持たないが故に、非常に特殊な精神を育んできた。それが生きる場合もあれば、足かせになる場合もある。

 

 欧米に勝つためには、奥底に眠る、戦いの魂を今一度呼び起こさなければならない。